
心に抱えている問題を解決する魔法のようなものはない。と私はこれまでの経験で思ってる。
でも、問題を乗り越えようとする前向きさや勇気、強さや優しさを育てるものはある。
それは、心が安心できるコミュニティーの中で自分の心と向き合っていくこと。
安心できるコミュニティーを見つける

最も身近な安心できるコミュニティーは、血のつながる家族かもしれない。
でも、家族でも安心できない関係もある、
だから、恋人や友人かもしれない。職場の仲間や趣味を共にする人たちかもしれない。
最終的に、誰でもいい。
大切なのは、私たちには心から安心できるコミュニティーが必要だということ。
そこは自分らしさを受け入れてもらえる場所、弱さも強さも含めて丸ごとの自分でいられる場所なのだ。
リトリートでのコミュニティー作り
だから私はいつもリトリートで、まず安心できるコミュニティー作りから始める。
簡単ではないけれど、短い時間の中でも安心できるコミュニティーを形成することはできる。
参加者同士が初対面であっても、心の扉を開き合える関係性を築いていくことは可能なのだ。
例えば、心の中の状態を具現化し、それを使ったワークを参加者同士で行うことは、その有効な手法の一つ。

言葉だけでは表現しきれない内面の世界を、アートや身体表現、シンボルなどを通して外に出し、それを分かち合う。
変化は静かに、確実に

一つひとつのワークをしている間は、正直、全然何も感じないかもしれない。
でも、いくつものワークやキーフレーズが重なり合って、安全や安心が少しずつ形成されていく。
最終的な安全や安心なコミュニティーは皆で作っていくもの。
まず一人、また一人と心を開き始める人が現れる。
その勇気が場全体に伝播し、安心できるコミュニティー作りを加速させていく。
心の扉が開かれると、そこには連鎖反応が生まれるのだ。
真の自分との出会い

つい先日、リトリートを終えたばかりなんだけど、
今回もリトリートの初日から終わりにかけて、参加してくれた仲間ともいえる皆さんの心は次第にオープンになっていった。
今回は、リトリートの場がバリ島のウブドだから、より一層心を開きやすい環境だった。
恥ずかしくて普段は言えない話、人には見せたくない弱みや傷も、安心できる場では自然と口にし始める。
それは決して無理をしているのではない。
むしろ、長い間押し込めていたものが、安全な場所を得てようやく外に出ることができたのだ。
身体の変化、心の解放

話すことで、体にため込んでいた苦しみや緊張が徐々に解放されていく。
硬く緊張していた身体は柔らかくなり、涙も出やすくなる。
そして笑うことも、簡単になっていく。
身体の中の巡りが良くなるから、血色も良くなり、表情にも生き生きとした輝きが戻ってくる。
心と身体は密接につながっているのだと、改めて実感する瞬間でもある。
変容の証

リトリートに参加した仲間たちは、来た時と帰る時で顔が明らかに違うなって毎回思うんだよね。
それは化粧や髪型の変化ではない。
内側から湧き上がる安心感や自己受容が、表情を通して現れているのだ。
こんな素敵な変容の場としてのリトリートを、今回も開催することができた。
一人ひとりの勇気と、共に歩む仲間たちの温かさに、深く感謝している。
