ログインログイン

地球と私の関係を、もう一度考えてみた――チェンマイでの体験から環境問題を考える

目に見えないものに、やられていました

先日、チェンマイから帰ってきました。

6月の6日から18日ごろまでの滞在です。

この時期は蒸し暑くて、蚊がいっぱいいて、それでも美しくて、少しだけ大変な旅でした。

実は、今回あえてこの時期を選んだのには理由があります。

前回タイを訪れたのは1月末から2月頭ごろ。

その時、私はひどく体調を崩しました。

最初は「風邪かな」と思っていました。

全身がゾクゾクするような神経痛みたいな感じ、どんどん荒れていく喉、重くなる呼吸、頭が圧迫されるような感覚。三泊四泊の滞在で、最終日が一番ひどかったです。

飛行機に乗り込んだら鼻も耳もぎゅっと詰まって、今まで経験した中で一番しんどいフライトになりました。

帰国してから、ウェブサイトをいろいろ調べていて、ようやく気がつきました。

あの症状は、PM2.5によるものだったのだと。

チェンマイの1月から2月は、農地の焼き入れや近隣国からの煙が流れ込む時期で、PM2.5の濃度が世界でも指折りに高くなります。それを知らずに行って、丸ごとやられていたのです。

怖かったのは、自分でそれに気がつけなかったこと。もし「PM2.5」という言葉にたどり着かなかったら、「年齢のせいかな」と思っていたかもしれません。

あるいは「なにか新しい病気にかかってしまったのでは」と心配して、原因不明のまま薬をもらっていたかもしれません。

こういう方、意外と多いのではないかと思います。

体の不調の原因が、実は目に見えない大気汚染にある。

なのに、「環境問題」と自分の体が結びついていないから、気がつけない。

そういうことが、日常のあちこちで起きているのではないかと感じています。

マイクロプラスチックという、もっと身近な話

PM2.5の話をしていると、もうひとつのことが頭をよぎります。

マイクロプラスチックのことです。

今や、空気中にもマイクロプラスチックが漂っているといいます。

PM2.5の粒子の中にも含まれていることが報告されていて、私たちは知らないうちにそれを吸い込んでいる可能性があります。

でも、日常生活の中でそれを目で確認することはできません。意識しなければ、その存在さえ感じられない。

プラスチックはもともと、象牙や鼈甲といった希少な天然素材の代わりとして生まれました。

自然を守るために生まれたはずのものが、今では細かく砕けてマイクロプラスチックになり、空気に溶け込み、海に流れ込み、生き物の体の中に入り込んでいます。

自然を守るためにつくったものが、地球そのものの循環を壊している。

なんとも皮肉な逆転です。

地球はもともと、すごく精巧な仕組みをもっています。

すべてのものが巡り巡って、また別のものの栄養になったり、分解されて地球に還ったりする。

その美しい循環の中に、還ることのできないものが増えすぎてしまいました。

私たちの体も、地球の縮小版

ここで少し、体のことを考えてみたいと思います。

私たちの体も、地球と同じように循環するシステムでできています。

血液が巡り、呼吸が巡り、消化と排泄が巡る。

細胞は生まれ変わり、古いものは分解されて新しいものへと変わっていきます。

地球が水や養分を循環させているように、体もまた、絶え間なく何かを取り込んで、変えて、外へ出していく。

だとすると、地球に還ることのできないものを吸い込んだり、取り込んだりすることは、体の循環にとっても異物になりうるということです。

PM2.5やマイクロプラスチックが体の中に入り込んで、ゾクゾクしたり、喉が荒れたり、呼吸が重くなったりする。

あのチェンマイでの経験は、まさにそのことを体が教えてくれていたのかもしれません。

地球が傷めば、体も傷む。体が傷めば、それは地球のサインでもある。そう考えると、環境問題はどこか遠い話ではなく、自分の体の中で起きていることと、つながって見えてきます。

「地球に還るもの」を選ぶという基準

じゃあ、どうすればいいのか。

私自身が出した答えは、シンプルです。「極力、地球に還るものを選ぶ」ということ。

体に入れるもの、肌に触れるもの、家の中に置くもの。できるところから、自然の素材を選んでいきます。

プラスチックの容器より陶器や木のもの。化学物質が多い洗剤よりシンプルな成分のもの。

体に入れる食べ物は、できるだけ加工が少なく、地面に近いもの。

完璧にやろうとすると、途中で嫌になります。

だから「できるところから、できる範囲で」というくらいがちょうどいいと思っています。

この基準を持つようになってから、選択がずいぶんラクになりました。

「これは地球に還るかな?」というたった一つの問いが、迷った時の判断軸になってくれます。

難しい知識がなくても、この一言で立ち止まれる。それだけで、少しずつ変わっていける気がしています。

知っていることと、知らないことの間で

ただ、正直に言うと、この「地球に還るものを選ぶ」という生き方は、まだまだ選びにくい現実があります。

自然素材のものはコストが高かったり、そもそも情報が届いていなかったりします。

「エコ」や「オーガニック」という言葉がついていても、本当のところはわかりにくい。

そして何より、知らなければ選びようがありません。

私がこういう選択をできているのは、知っているからです。

そしてそれを知ったのは、食べ物やストレスが原因で体を壊した経験があったからです。

もどかしさを、手放す

自分の体を大切にすること。自分の暮らしの中で、地球に還るものを選んでいくこと。

地球との関係を、自分のペースで育てていくこと。

誰かを変えようとしなくても、自分がそうやって生きていることが、いつかどこかで誰かの目に触れて、その人の「知るきっかけ」になるかもしれない。それくらいのゆるさで、続けていきたいと思っています。

地球を「愛でる」という感覚

最後に、こんなことを書いて締めくくりたいと思います。

チェンマイは、大変だったけれど、美しかったです。

蒸し暑い空気の中に漂う花の匂い、緑の濃さ、夕方の光。

地球はやっぱり、すごいと思います。

その美しさを守りたいという気持ちは、「環境問題を解決しなければ」という義務感とは、少し違います。

もっと個人的な、「この美しさと一緒にいたい」という感覚に近い。

地球を愛でること。その感覚が、選択の根っこにあればいいと思っています。

難しく考えすぎなくていいです。まず一つ、「これは地球に還るかな?」と問いかけてみるところから始めてみてください。

私も、まだまだ途中です。