認知行動療法と有の瞑想

2019年10月24日BLOG, 瞑想

私は、今バリ島にいて、ヨガアライアンス200時間のTTC真っ最中。先日は瞑想の時間にはいったところで、バリ島ということもあり、神々の息吹をそこかしこに感じながら参加しているみなさんとの深い時間を少しずつ味わいはじめている。

ムルカットとお祈り前の儀式。心を無にして自分の中の神と繋がっていく。ざわざわしてても心静か

OMYOGAの瞑想では、”有の瞑想”と”無の瞑想”の2パターンを作っている。これは自分が実践してきた中で瞑想に種類があることを発見したからだ。この違いを知っておかねば瞑想に迷走していくことになりかねない。現に瞑想本を見てみると、イミフ(甥っ子に教わった現代用語)な内容を書いている人もいる。それが悪いのかといえば、そんなことはなくて見るタイミングによっては良い本だったりするのだ(この文章こそまさしくイミフであるが、そこはおいておく)。

さて、2パターンのうちの一つ、”有の瞑想”では認知行動療法とNVCの手法を一部応用している。私は心理学が好きなのだけど、これまで試したきたあらゆる心理学療法のうち理論的で体系的なのがこの2つ。2つは似ているから重なる部分はあるけど、ちょっと違う。

有の瞑想は、心を変えることを目的にしている。その練習方法として心を見ていくことも含まれる。心を単純に見るのではなく、一定の法則にしたがってカテゴライズしていくのです。カテゴリーとは、つまり心の時間軸(過去・今・未来)、心の大きな分類(記憶・思考・感情)、そして時間軸ごとの心の分類(過去の記憶・今の記憶など)のことである。これらに加え、真実(それぞれの人の心)と事実(誰もに共通のこと)をだす。認知行動療法は、上記のようなカテゴリーに心をわける際に非常に有効である。このカテゴリーわけが何の役にたつか簡単に書いておきたい。

まずは心をコントロールする無の瞑想に役立つ。
無の瞑想は、心が感情と思考についていくのをとめ、記憶の泡だけになり、最後は前世の記憶の泡だけとなり無へ至るという瞑想だ。このような経路をたどるから、もちろん感情と思考が仕分けされていないと、ただ心を見てるだけという辛い状況を味わうことになる。感のいい人であれば、心の動きの種類に気づきコントロールするかもしれないが、そうでなければ無理な我慢ダイエットと同じで、やってる間はやみくもに頑張っているが、成果なしで終わってしまうのだ。

次に、心を変えるという最終的な有の瞑想に役立つ。
私たちは日々蓄積した知識を記憶にストックし、その記憶の中の知識を通して物事を考え言動する。言動をくり返すうちに、目にも止まらぬ速さで高速処理した心によって、同じ言動を繰り返すというわけだ。このような心を変えたいのだから、願うだけではだめなのだ。心を変えなければいけないのだ。
心とは、記憶・思考・感情であり、そこには事実と真実がはいっている。どこの心をどうやって変えればいいのか?あるいは環境を変えるべきなのか?それを知るために心をカテゴリーわけするのであり、その手法に認知行動療法はうってつけなのである。

認知行動療法は、それほど自分の”本当の心”にフォーカスしなくても、ただツラツラと心を書いていけばいいのである。自分の”本当の心”にフォーカスするのは大きなエネルギーを消耗する。記憶の中に散りばめられたこれまでの心が新しい心の形成を自動的に阻止しようとするからだ。だから、まず最初は簡単なところからスタートする。それが認知行動療法では簡単にできる。
実際にやってみて自分の心を見返すだけで、不思議なことに考え方が変わり、状況を変えることができるかもしれないということなのだ。

しかし、認知行動療法には落とし穴がある。それは、だしてきたはずの心に偽りがある場合だ。先ほどかいた”本当の心”と”自分の心”に違いがあるような感じだ。これは心が高速処理をしてるゆえ、うっかりわからなくなっても仕方のないことなのだ。ただ、間違えたまま先にすすめば、やっぱり心は変わらない。ここのずれを解消するためにNVCを用いるのだ。
このNVCについては、また次回のブログに書くことにする。