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「最近なんか余裕ないな」と思ったら、まずすること

とある研究の話を聞いて、ずっと頭の片隅に残っていることがあります。

大学生を対象に、「困っている人を助けるかどうか」が何によって変わるかを調べたものなんだけど、被験者はいくつかのグループに分けられ、「急いでいるグループ」と「時間に余裕があるグループ」で、実際に助けを必要とする場面でどう行動するかを観察したそうです。

結果は明快でした。
時間に余裕があるグループでは60%以上が助けたのに対して、急いでいるグループでは、その割合がわずか10%ほどに落ちたんです。

「困っている人を助けるかどうか」は、その人の優しさや道徳心よりも、「その時どんな状態にいたか」のほうが、ずっと大きく関係していたそうです。

この話を知った時、私は自分のある時期のことを思い出したんです。

頭の中の忙しさ

以前の私は、目が覚めた瞬間からすでに頭の中が走り始めていました。

まだ布団の中にいるのに、今日やるべきことが頭の中でぐるぐると回り始める。午前中にこれをして、お昼からはあれをして、夜にはこれを終わらせなければ。「絶対に間に合わない」という焦りが、一日の始まりから体の中に張り付いていました。

その頃、娘が何かを求めてきても、「自分でやりなさい」という気持ちが先に出ていて。それが冷たさからではなく、ただ頭がいっぱいだったのだということは、今になってようやくわかります。

物理的には何も急いでいない朝でも、そうだった。

頭の中が忙しければ、心は余裕を失う。あの研究が示していたのは、物理的な時間のなさだけではなく、「忙しさ」そのものが人の在り方を変えてしまうということだったのかもしれません。

「なぜ」より「どんな状態だったか」

何か問題が起きた時、私たちはすぐに「なぜ自分はこうなのか」と問い始めますよね。

なぜ余裕がないのか、なぜイライラしてしまったのか、なぜあの人にあんな言い方をしてしまったのか。

その問いはたいてい、自分を責める方向へと向かっていく。

でも、そうではなくて、もう少し手前に立ち止まって「どんな状態の中にいたのか」を見ることが、実はずっと大切なんじゃないかと思っています。

時間がなかったのか。
眠れていなかったのか。
その日の空気が重くなかったか。
人間関係の中で、消耗するような場面が続いていなかったか。
季節の変わり目で、体がまだついていけていなかったのか。

何かが起きた時、それはただ「あなたの性格の問題」ではなく、あなたがその時置かれていた「環境全体」が生み出したものかもしれないんです。

ホリスティックに見るということ

ホリスティック(holistic)という言葉は、「全体」を意味するギリシャ語「holos」を語源に持ちます。

人間を心・体・精神のそれぞれに切り分けて診るのではなく、それらをひとつの統合されたシステムとして捉える。そして、その人間をさらに取り巻く環境——人間関係、季節、生活習慣、社会的なプレッシャー——もひっくるめた「全体」として見る視点のことです。

これはヨガや瞑想が長い歴史の中で自然に扱ってきた考え方でもあります。

たとえば、なぜか落ち着かない日があるとします。

「私はなんて精神的に弱いんだろう」と内側へ向かうのではなくて、「今日は低気圧が来ているな」「先週から人に会う機会が多かったな」「このところ、朝に静かな時間がとれていないな」と、自分を取り巻く状況を少し広げて見てみる。

すると責める対象のかわりに、「そうか、それなら仕方ない」という理解が生まれてくるんです。

観察する意識が育てるもの

瞑想やマインドフルネスが「余裕をつくる」と言われることがありますよね。でも私はそれを、少し違う角度から理解しています。

瞑想の実践が育ててくれるのは、「観察する意識」だと思っているんです。

何かが起きた時に、すぐ反応するのではなく、一瞬「あ、今こういう状態にいる」と気づく。その微かなすきまが、ホリスティックな見方の入り口になります。

今、頭の中が忙しくなっているな。今日は体が重いな。このところ人に会いすぎて、少し消耗しているな。今この場の空気が、なんとなく緊張している。

そういった小さな観察が積み重なることで、自分の反応を「悪い自分が出た」ではなく、「この状態の中ではそうなりやすかった」と捉え直すことができるようになっていきます。

MBSRの実践においても、この「観察する」という姿勢は根底にあります。
評価せず、ただ今起きていることを見る。

それは自分の内側だけでなく、自分を取り巻く環境全体へと向けることのできる視点なんです。

朝の静けさが教えてくれること

今の私は、朝起きてもすぐに頭の中を走らせることがありません。むしろ逆に、考えなさすぎて大丈夫かなと思う瞬間もあるくらいです。

この変化がいつ、どうやって起きたのかは、正直はっきりとは言えません。
でも、毎朝少しだけ静かに座る時間を続けてきたこと、「今ここにある自分と環境」をただ感じることを繰り返してきたことが、何かを少しずつ変えてくれた気がしています。

朝の静けさの中にいると、今日の空の色が見える。体が今日どんな感じかがわかる。一日が始まる前の、まだ何も起きていない感触がある。

その感触が土台にあると、何かが起きた時に「また自分のせいだ」ではなく、「今日はこういう状態の中にいるんだな」という見方がしやすくなります。

それは、自分への批判をやめることではなくて、ただ、もう少し広い目で、自分というものを環境の中に置いて見るということです。

何かが起きた時、すぐに「自分が悪い」と向かうのではなく、そっと立ち止まって、今自分はどんな状態の中にいるのかを見てみてください。

頭の中は忙しかったか。体は疲れていたか。季節は変わり目だったか。誰かとの関係が、静かに消耗させていたか。

それは言い訳をすることではなくて、自分を全体として、ホリスティックに見るということです。

そしてその視点は、日々の瞑想の実践の中で、少しずつ、確かに育っていくものだと私は信じています。