
人生をより豊かにしたいと願う時、うっかり「完全な悟り」や「超人的な能力」に憧れを抱く時がある。
仏教でいう「涅槃」や、ヨガや瞑想で語られる「モークシャ」といった概念に、深い関心を寄せる時もある。
私は長年、そうした道に興味があって歩んでた時期があって瞑想を始めたころは、まさに解脱や特別な体験に憧れを抱いていた一人でした。(過去形)
しかし、その過程で気づいたことがある。
高次元の状態を目指す道のりには、思わぬ落とし穴があるということ。
解脱という頂点、そして手前の景色

仏教において涅槃の入り口である解脱とは、一切の苦しみから完全に解放された状態を指す。
理論的には、これが人間が到達しうる幸せの最高地点とされている。
つまり、解脱こそが幸せの究極のゴールということ。
しかし、そういう道を進み続けていく中で、興味深いことに気づいたのです。
周りを見回すと、解脱に到達していない人々の中にも、心から幸せを感じている人がたくさんいること。
家族との何気ない夕食の時間に深い満足を覚える人。
仕事で小さな成功を収めたときの充実感に包まれる人。
友人との語らいの中に人生の意味を見出す人。
彼らは必ずしも解脱という究極の境地には達していないけど、「幸せ」と感じる瞬間をたくさん作ることができている。
つまりそれはこういうことを意味するのだ。
解脱が山の頂上だとすれば、その手前にも美しい景色を楽しめる展望台がいくつもある。
そして、解脱を教えてくれている人より全く関係ない人に教えてもらう方が幸せ上手になれる場合もあるということ。
道中の出来事がゴールになる危険性

瞑想を続けていると、普通では体験できない意識状態に入ったり、直感力が鋭くなったり・・することがある。
修行している人の中には、空中浮遊に近いような不思議な現象を体験する人もいた。
ここだけの話、幽体離脱をするためのグループにはいっていたこともある。
でも、頑張って得た神秘体験の共有を聞いたり話すたびに、自分の中にこのような声が
「幽体離脱できたら、どうなるん」
「光が見えて、どうなるん?」
「それで、、、幸せなのか?」
「神秘体験」と「幸せ」は別のもの
空中浮遊のような神秘体験をできる人は確実に「達人、修行熟達者」の域。
長年の修行と集中力の賜物でしょう。
しかし、その能力と幸福感は必ずしも一致しない。
能力の習得に没頭するあまり、本来求めていたはずの幸せから遠ざかってしまう。
空中浮遊のような現象は、精神的成長の過程で現れる副産物に過ぎないのに(実際に空中浮遊できるかは置いといて)、それ自体が目的になってしまうと本質を見失ってしまうのだ。
だから、私はいつも神秘経験を聞くたびにそう思っていた。
「それで、あなた(私)は幸せなのか?人生はfeel all rightなのか?」
中庸の道を歩む知恵

この気づきを経て、私は仏教の「中道」という教えの深い意味を理解するようになった。
これは、極端に走ることなく、バランスの取れた道を歩むことの重要性を説いているのですが、私の経験を通してその価値を実感したのです。
特別な現象や能力に過度に執着することなく、同時にそれらを完全に否定することもない。
現れるものは現れるものとして受け入れつつ、それに囚われることなく、本来の目的である心の平安と幸福感を見失わないように歩んでいく。
この姿勢こそが、私にとって最も大切な学びとなった。
日常の中の豊かさを大切に

私が最も価値を感じるのは、日常生活の中にある小さな瞬間。
朝のコーヒーを静かに味わう時間。
目の前にある自然の美しさに気づいた時。
どんな話も聞いてくれている友人や家族の存在に気づいた時。
これらすべてが、私の人生を豊かにしてくれる貴重な機会だと思っている。
空中浮遊のような超常的な体験は、確かに興味深く、印象的なものだった。
でも私の経験から言えることは、それよりも、
今この瞬間に手の届くところにある小さな幸せに気づき、
それを大切にする心の方が、はるかに価値があるということ。
結論:真の豊かさへの道筋
人生を豊かにしたいという願いは、
決して間違ったものではないよね。
私自身もそうした願いを抱いて歩んだりもした。
だから、その道筋を歩む際に、私が学んだいくつかの大切なことを皆さんに共有できるなと思うのです。
まず、解脱という究極の目標は尊重しつつも、その手前にある様々な段階での幸せや充実感も十分に価値があること。
そして、進んでいく道の過程で現れる現象や能力を、手段と目的を取り違えることなく、適切に位置づけること。
私の経験から最も強く感じるのは、外的な達成や能力よりも、内的な平安と喜びを優先することの大切さ。
空中浮遊ができることよりも、日常の中で感じる小さな幸せに敏感であること。
特別な体験よりも、今この瞬間を大切に生きること。
一人ひとりの人生は、それ自体が貴重で意味深い旅路。
その道のりを歩む際には、足元の美しい花々を見過ごすことなく、同時に遠い山頂の景色にも思いを馳せながら、バランスよく歩んでいけばよいと思う。
真の豊かさとは、特別な能力や超常的な体験の中にあるのではなく、
私たちが日々を丁寧に、心を込めて生きることの中にこそ宿っている。
と、私は思っています。