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親が子に贈れる、最強のお守り──「あなたなら大丈夫」という言葉の科学

娘が今年、卒業演劇を迎えます。

シュタイナー教育では、14歳という節目を「第二の誕生」と捉えます。

7年周期で人生を考えるシュタイナーの哲学では、0〜7歳が身体の成長期、7〜14歳が感情と想像力の成長期。そして14歳でひとつの章が閉じる。

その締めくくりとして、8年生たちが自分たちの手で演劇を作り上げる——それが卒業演劇です。

衣装係、舞台係、照明係。脚本は決まっているけれど、それ以外のことはほぼ全部、子どもたち自身で決めていく。

一人一人の衣装は何にするか、照明はどのタイミングで落とすか。

先生はあくまで地面を整えるだけで、作っていくのは子どもたち自身です。

そんな日々の中で、娘がその日心に残ったことを話してくれることがあります。

うれしかったこと、おもしろかったこと、それから——この年齢で初めて経験するような、仲間とのコミュニケーションのすれ違いや、思いがけない葛藤のこと。

グループで何かを作り上げていく経験の中では、どうしても意見がぶつかったり、気持ちが伝わらなかったりすることが起きる。

大人になってからも難しいことを、14歳が初めて本格的にくぐり抜けていく。そ

の話を聞きながら、親としてどう受け取るか——それが、私にとって小さくない問いになっています。

6年生の時の娘と

子どもの話を聞くとき、親の中で何が起きているか

子どもの話を聞くとき、私はどんなふうに聞いているだろう——と、ふと考えることがあります。

聞いているつもりが、いつの間にか頭の中で評価している。

「それはあの子にも原因があったんじゃないか」「将来のためにはここを直したほうがいい」と、気づけば先のことを考えている。

子どもを思えばこそ、だけど、子どもが求めているのは、そこじゃなかったりする。

あるとき、娘にこういわれました。

「アドバイスが欲しいわけじゃない。ただ聞いてほしいだけ」

親の中に、ふたつの目がある

子どもの話を聞くとき、親の中にはふたつの目があると思っています。

ひとつは「先を見て評価する目」

子どもの将来や成長を思うからこそ、今の行動を評価したり、改善点を探したりしてしまう目。これはこれで、深い愛情から来ているものです。

もうひとつは「今を見て寄り添う目」

先のことは一旦置いておいて、今この瞬間の子どもの気持ちにただ寄り添う目。

「大変だったね」「よく頑張ってるね」と、今ここにいるその子を丸ごと受け取ろうとする目。

どちらも親の目であることに変わりはない。

でも、子どもが求めているタイミングと、親が使っている目がすれ違うとき、ちぐはぐなことが起きる。

私自身は、どちらかというと「先を見て評価する目」が先に動きやすい。それが自分の癖だと、子どもとの会話の中で改めて気づかされました。聞いているつもりが、いつの間にか採点している。そのすれ違いに、何度もはっとさせられてきました。

自分を支えてきた言葉を、たどってみた

そんなことを考えていたある日、ふと自分の子ども時代をたどってみました。

私がひどく落ち込んだとき、つまずいたとき、もう無理だと思ったとき——そういう瞬間に浮かんでくる言葉って、どんな言葉だろう、と。

出てきたのは、父や、私をずっと大切にしてくれていた友人たちの声でした。

「あなたなら大丈夫」 「なんとかできる、って信じてるから」 「守られてるから、大丈夫

正確にどんな場面だったかはもう覚えていません。

でもその言葉は、体の奥のほうにしっかり刻まれていました。

私が人生の道につまずいたとき、迷ったとき、折れそうになったとき、その言葉がいつも奥のほうからそっと押し上げてくれていました。

責められた言葉も、もちろん記憶に残っています。

でも力の源になっているのは、圧倒的に寄り添ってもらった言葉のほうでした。

そしてそのとき気づいたんです。

父や友人たちは、「今を見て寄り添う目」で私を見ていてくれていたんだ、と。

将来どうなるかとか、今の行動が正しいかどうかとか、そういうことより先に、「今この人は大丈夫だ」と信じて、ただそれを言葉にしてくれていた。

その記憶が、何十年も経った今の私を、まだ支えています

あなたの中にも、ふたつの目がある

ここで少し、あなた自身のことを考えてみてほしいのです。

あなたもきっと、これまでの人生の中で、ふたつの目で見られてきたはずです。

先を見て評価する目」——あなたのここが足りない、こうすればよかった、なぜそうしたの、と言われた経験。

今を見て寄り添う目」——あなたならできる、大変だったね、そのままでいいよ、と言ってもらえた経験。

どちらの記憶も、きっとどこかにある。

そして今、あなたが壁にぶつかったとき、不安が押し寄せてきたとき、もう駄目だと思ったとき——心の奥から浮かんでくるのは、どちらの声ですか?

「やっぱり私には無理だった」という声が先に来るなら、それはきっと「評価する目」の言葉が多く刻まれてきたから。

「大丈夫、なんとかなる」という声が来るなら、どこかで「寄り添う目」で見てもらえた記憶があるから。

どちらが多いかは、育ってきた環境によってずいぶん違う。それは、その人のせいじゃないと思います。

励ましの言葉には、心理学的な根拠がある

これは感覚の話だけじゃありません。

心理学では、こういった言葉の働きを「内在化された支持的な声(internalized supportive voice)」と呼びます。

成長の過程で重要な他者——親、先生、友人など——から受けた肯定的なメッセージが、脳の中に「記憶の声」として保存される。

そして困難な場面で、まるで守護霊のように内側から語りかけてくれる

発達心理学者のジョン・ボウルビィが提唱した「愛着理論」にも、これに近い概念があります。

安定した愛着を形成した子どもは、困難に直面したとき「内的な安全基地(internal secure base)」を持っている。

誰かがそばにいなくても、心の中に「あなたは大丈夫」という声が存在することで、自律的に立ち直る力が育まれる、というものです。

つまり、かけてもらった励ましの言葉というのは、単なる「いい思い出」じゃない。困難を乗り越えるための回路として、脳の中に実際に機能しているんです。

逆に言えば、批判や否定の言葉が繰り返されると、その声も同じように内在化される

「どうせ自分には無理」「やっぱりダメだった」という声が、困難な場面で先に湧き出てくるようになる。

これが、いわゆる「内なる批判者(inner critic)」の正体です。

ヨガや瞑想の文脈でよく聞く「セルフコンパッション」——自分自身への思いやり——も、まさにこの内なる批判者を手放し、支持的な声を自分で育てていくプロセスです。

心理学者のクリスティン・ネフの研究では、セルフコンパッションが高い人ほど、失敗やストレスからの回復が早く、精神的な安定度も高いことが繰り返し示されています。

「自分に優しくする」というのは、甘えでも逃げでもなく、科学的に有効な心の筋トレなんです。

「今を見て寄り添う目」は、今から育てられる

ひとつ大切なことがあります。

「励ましの言葉をかけてもらった記憶がない」という方も、きっといると思います。

厳しい環境で育った。

褒めてもらうより叱られることのほうが多かった。

親にそんな余裕がなかった。

そういう方にとって、ここまでの話は少し重く聞こえるかもしれない。

でも、内なる支持の声は、今からでも作れます。

心理学やマインドフルネスの研究でわかっていることのひとつが、「自分への語りかけ」の質を変えることで、脳の反応パターン自体が変化するということ。

これを「自己対話の再構成(cognitive restructuring)」と呼びます。

幼少期の経験がどうだったかに関わらず、今この瞬間から積み重ねていくことができる。

瞑想の実践の中にも、「慈悲の瞑想(メッタ瞑想)」というものがあります。

自分自身に「幸せでありますように。健やかでありますように」と語りかけることから始まるこの瞑想は、まさに自分の中に支持的な声を育てる訓練です。

難しいことはなにもありません。ただ、自分に向かって優しい言葉をかけていく、それだけのことです。

最初は他人事みたいで、なんか恥ずかしかったり、しっくりこなかったりするかもしれない。

こんなことして何の意味があるんだろうと思うかもしれません。

それでも大丈夫です。続けることで少しずつ、自分の中に「あなたなら大丈夫」という声が育っていきます。それとともに、その効果をしっかりと実感するはずです。

しんどいとき、自分を責める言葉が先に出てきたら、少しだけ立ち止まって。「大変だったね」と、ひとこと言ってあげるだけでいい。

それが、「今を見て寄り添う目」を自分の中に育てていく、最初の一歩です。

親が子にできる、実はとても地味なこと

卒業演劇の話に戻ります。

これからもきっと、子どもはいろんな葛藤を持ち帰ってくると思います。

誰かとぶつかって、うまくいかなくて、泣きたくなるようなこともあるはず。

そのとき親にできることって、実はそんなに多くないはずです。

アドバイスは、求められたときだけでいい。解決策を出そうとしなくていい。評価しなくていい。

ただ、話を聞きながらときに「大変だったね」と言って、ときに「あなたはちゃんとやってるよ」「あなたは大丈夫」と伝える。それだけでいい

その「あなたは大丈夫」という言葉が、10年後、20年後、子どもが壁にぶつかったときに、心の奥から浮かんでくるかもしれないと思います。

それって、親が子どもに渡せる、目に見えないけれど本当に強いお守りなんだよね。

学歴でも、お金でも、スキルでもなく。「あなたなら大丈夫」という声を、心の中に残してあげること。

身軽に生きるために、言葉を選ぶ

ヨガや瞑想をしていると、「手放す」ことの大切さを体で知っていきます。

呼吸を整えながら、いらない力みを抜いていくように、日常の言葉も「手放す」ことができる。

「先を見て評価する目」からの言葉——それはあなたのせいだよ、もっとこうすればよかった——を手放して、かわりに「今を見て寄り添う目」からの言葉——大変だったね、よく頑張ってるね、あなたなら大丈夫——を選んでいく。

これは子どもへの言葉だけじゃない。自分自身への言葉も、同じ。

身軽に生きるというのは、荷物を減らすことだけじゃなくて、重い言葉を手放して、軽い言葉を選んでいくことでもある、と最近よく思います。

娘の卒業演劇、本番はもうすぐです。

結果がどうなるかより、そのプロセスの中でどんな言葉が生まれたかを、こっそり楽しみにしています。

そして子どもたちの心の中に、いつか必要なときに浮かんでくるような言葉が、少しずつ積み上がっていけばいいなと思っています。

皆さんの心の中に、「あなたなら大丈夫」と言ってくれる声は、ありますか?

もしまだなければ、今日から、自分でその声を育てていくことができます。