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シュタイナーのミカエル祭で光と闇を学ぶ

娘の心は、今ミカエル祭一色です。ミカエル祭は、シュタイナー学校の行事の一つ。2年生と7年生が一緒になって劇をします。劇では、ただ何かを演じるだけではなく、物語の中から倫理や道徳、生き方のヒントを覚えていきます。(私目線の意見です)
今回は、光と闇について劇を通して学びます。(これは学校意見)ミカエルが光、ドラゴンが闇という設定です。誰しもが自分の中に闇の部分があると思うんですが、それに立ち向かっていくというのがメインです。特に秋にむかうこの時期は、闇にむかいやすいということで、この時期にこの劇をすることは、子どもたちにとってすごく意味のあることです。

たえぽんは、起きてから寝るまでミカエル祭の歌と踊りにあけくれ、劇のことで頭がいっぱいの様子。食事の時は、よくミカエル祭の話題がでてきます。(まだ配役が決まってないので)ミカエル役がしたい、とか皆頑張って練習していることとか、そしてミカエルがどれだけ良くて、ドラゴンがどれだけ悪いか、とかとか・・・

そこでヨガママは思うのです。このままミカエルが善、ドラゴンが悪という固定概念がはいるとまずいぞと。私個人の意見としては、”容姿=善悪基準”はちょっと違うと思う。それが基準になると、見た目だけで判断したり、見た目で騙されたりするだろう。現実社会では、ドラゴンが善、ミカエルが悪というのもよくある話なんだよね。

今読んでいる”ジムボタンと13人の海賊”の話の中に、ドラゴンが登場します。このドラゴンは、”ミセス1本歯”という悪い竜だったんだけど、良い導き手のおかげで”叡智の竜”という黄金のドラゴンに変身します。このタイミングでこの本を読んでいたのは、すんごくラッキー!と思いながら、善と悪についてタエポンと話をしました。

私が伝えたことは、同じドラゴンでも良いドラゴンと悪いドラゴンがいること。だから、同じミカエル(のような容姿)でも良いミカエルと悪いミカエルもいること。つまり、見た目でなくて言葉や行動がとっても大切なんだよという話をしました。普段たえなの中には良いたえなも悪いたえなもいるという話をすることがあります。それと混同しそうになったけど、それはそれ、これはこれで話のケリをつけたのです。

ところで、闇という漢字は”門がまえに音”と書きます。これについて書家・宇佐美志都の説明が非常にわかりやすかったのと、文末にでた宇佐美志都さんのお気持ちの言葉に共感したので、下記に引用しておきます。

「闇」の字を分解すると、「門」と「音」になります。「門」は、左右対称
の観音開きの戸が付いた大きな門を表し、廟(王者・偉人などの霊を祭
ったところ)や、寺院といった、聖なる場所の入口を示しています。「サイ」
のご説明をした時と同じで、神聖なる場所の存在が根底にあります。
 その廟の中で、神へ対し、自分の誓いを「サイ」(祝詞を入れる器)を
用いて行います。その自分のお願い事や誓いの入った「サイ」の中に、
その誓いに対しての思し召しが、人知れず現れる事を、指示点(実態の
ある様子)として加え表現したものが「音」。
 それが、廟の中で行われることが、「闇」という漢字の意味です。つま
り、廟門で神に問い、その、訴えに対する答えとして、そのサイの中に神
の思し召しが表れること「音なひ」といい、その「音なひ」があらわれるこ
とを「闇」というのです。ですから、思し召しや教え、お導き…といったこと
は、神の現れる「闇」の場であったということです。
 「闇」とか「暗い」というと、まさに、暗く、不便な印象を受けがちですね。
しかし、「闇」の中でこそ、五感を研ぎ澄まし感じ得てきた事を、「闇」の
文字も教えてくれています。確かに太陽の光はありませんが、周囲に気
を配ると、風の音なども聞こえてきますね。それによって、例え、時に朧化
であってもどこに何かがあるとか、少しずつ創造できてくることでしょう。
あるいは、もし、恐ろしい動物が近くに寄ってきたとしても、耳を澄まして、
その足音を聞き分ければ逃げることができるかも知れませんね。
 その他、匂いや皮膚の感触など、光を受け見えなくても、人は自分の
五感を用い、あらゆる方法でまわりの様子を掴むことができる。研ぎ澄ま
された五感の先には、六感までもが生まれるようにすら思います。更に、「闇」
は、そういう希望すら今の私たちに伝えてくれているように感じます。つま
り、今のように悲観的な意味ではなかったのですね。
 現代でも、考えごとをするときには少し部屋を暗くしたほうがいいとも言
われていますね。視界にいろいろなものが入ってくるよりも思考に没頭でき、
創造性を生み出すことができるのでしょうね。つまり、脳が視覚のみに頼っ
ていない状態…それが、「闇」であり「暗」の状態なのだと思います。
 どの場においても必要以上に明るくすることが、人にとって良好かつ
心地よい環境につながるわけではありません。「明るい=プラス、暗い=
マイナス」といった単純な発想は、もうやめるべきなのではないでしょうか。

オフィス文化論10 「書家・宇佐美志都の、『文字学』を、今、伝えたい…」
https://www.sanko-e.co.jp/download_file/view/719/339 

光があるから闇がある。闇があるから光がある。どちらもあって正解。ついでにこのタイミングで普段タエポンも間違えながらも唱えているアサトマの意味も説明した次第です。

ॐ असतो मा सद्गमय ।  तमसो मा ज्योतिर्गमय ।   मृत्योर्मा अमृतं गमय ।   ॐ शान्तिः शान्तिः शान्तिः ॥

Om Asato Maa Sad-Gamaya | Tamaso Maa Jyotir-Gamaya |
Mrtyor-Maa Amrtam Gamaya | Om Shaantih Shaantih Shaantih ||

オーム アサトーマ サッガマヤ । タマソーマ ジョーティールガマヤ ।
ミリュトルマ アンムリタム ガマヤ । オーム シャンティ シャンティ シャンティヒ ।।

[Meaning]
真実でないものから真実へと導いてください । 暗闇から光へと導いてください ।
滅び行くものから滅びないものへと導いてください । オーム、平和、平和、平和 ।।