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感情とニーズ 有の瞑想・無の瞑想

有の瞑想は、NVCを一部応用している。NVCは、Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーションという。1970年代に、アメリカの臨床心理学者マーシャル・B・ローゼンバーグ博士によって体系化された。自分も相手も傷つけないコミュニケーション法と言っていい。

先日の第4回目の有の瞑想オンラインコースは、NVCのステップである”感情”と”ニーズ”と向き合う時間だった。

まず、感情と向き合う時間について書く。はじめは、思考と感情をわけた。
私たちは、価値観や固定概念や評価や批判という“思考”を自分の”感情”と勘違いしがちだ。例えば「あの人最低だと思う」という言葉は、感情ではなく批判(思考)を表す。この思考(価値観や固定概念や評価や批判)の部分を感情に交換する必要がある。
例えば、「あの人の発言をきいて、私は、嫌な気持ちになった。」だ。

感情の探し方はここではふれないが、とにかくこのようにまずは自分の感情に気づくといい。そうすると次に、自分の”感情の理由”がわかる。感情の理由とは、自分が求めていることだ。NVCでは、これを”ニーズ”という。

次に、ニーズと向き合う時間では、感情との繋がりをみた。
講座の中ではNVCのいうニーズを見る前に、言葉で理由を表した。その理由は、ニーズを表現する方法が人それぞれ違うからだ。それも心を知るためには理解しておくべき要素だ。
方法を知ったあとにニーズと感情を繋げていった。
例えば、上で書いていた文にニーズを足して書くという具合だ。
「あの人の発言をきいて、私は、嫌な気持ちになった。なぜなら、私は平和な話し合いを望んでいたからだ。」
最初の例文をもう一度書く。「あの人最低だと思う」
2つの文章を見比べて感情とニーズが整理されるだけで、自分の心が理解できるように思わないだろうか?

“あの人最低だと思う。”という批判の思考は、自分は最低な人に会ったという間違えた認識をくわえ、さらに自分を苦しめる負のルーティーンになりかねない。
なんといっても、”あの人最低だ”というのは、自分の感情の責任を人になすりつけている。しかし、私は嫌な気持ちになった。なぜなら私は・・・となると、自分に感情に責任をもった思考になっている。

余談だがニーズがドンピシャで当たると、ドキっとする。そうだ、私が求めていたものはこれだったんだ・・と。それにたくさんの気付きが得られる。すると、相手に対する言動も変わってくるだろう。
そして、物事がどんどんシンプルになって、自分軸ができていくのだ。

ところで、ヨガ瞑想でなんの情報もないままあるがままを見る、気づくというのはできるのだろうか。私が瞑想を始めたてのころ、それこそ、心の分類などわからずあるがままだった。心の調子はとてもよくなった。しかし負のルーティーンはなかなか直らなかった。幸せなイメージ瞑想も根本的なモヤモヤ解消するにはいたらなかったし、気付きなんかは今思うと自分本位な思い違いがあったと反省やら恥ずかしさやら・・・。
科学はすすんだ。瞑想もすすんでいるのだ。

話を元に戻そう。そしてちょっと整理しよう。
有の瞑想では、心を分類し、その分類をさらに分解した。
分類(思考・感情・記憶)(事実・真実)
分解(事実に付着した真実/固定概念・価値観)(思考に隠れた感情/批判・評価などは思考)(感情と思考の繋がり)
このような具合だ。分解したうち、思考という心の領域は変えることができるのだ。
しかし、思考と感情の繋がりや、思考の中の源がわかないと変える方法が見えてこないだろう。それでNVCの応用が効いてくるのだ。どうにかしてその効果をお伝えしたいが、こればかりは”やってミソラシド”である。

私たちは心を変えることができる。(有の瞑想)
変えることができるのは”思考”だ。
“思考”が変わると”言動”を変えられる。
“言動”が変わると”感情”が変わる。
これらの一連が”記憶”となる。

その過程で否定的な感情がでてきたら、それは変えられないが止めることはできる。
それが心を止める瞑想だ。(無の瞑想)

似たようなと書いた後に少し恥ずかしくなった。
言い換えて・・・少しばかり近い言葉がはいっている素晴らしい名言を下記にしるす。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

マザー・テレサ