「ヨーガとは何か」を歴史的に考察する〜1:はじまりと結論〜

2019年9月10日ヨーガ考察, BLOG

はじめに

自称瞑想ヨガの時期を加えると、ヨーガを初めてそろそろ20年近くになってきている。その間、何人かの人に「ヨーガとは何か?」とか「小学生にもわかりやすいように説明するとどんな感じ?」と問われたこともある。そしてそのたびにしっくりくる答えが言えないし、言えば言うほど陳腐な感じがしてモヤモヤが蓄積。聞いている人の顔は、あきらかに不明な顔になり、ヨーガに持っていた興味がだんだん薄れてきているような・・・それはいかん。と阻止するために最後には、「とりあえずやってみるといいよ。」なんて言葉でくぐっていた。

このような質問を何度か聞かれ、そのたびに答えられないでいるから、自分でも答えを探すために色々考えたりし始めた。それでヨーガには多面性があるから、人によって感じるヨーガが異なって当然だと落ち着くのだが、それとは異なる疑問もでてくる。それは、ヨーガの位置付けとはなんだろう?ということ。例えば私のヒンドゥー教の友人は、私から見てヨーガの実践者であるのに、「ヨーガを習い始めた」と言ったりする。あるいは、ヨーガをしていないけど、まるでヨーガ実践者のような心の人もいる。そうなるともう、「ヨーガってなんやねん?!」がとまらない。そんなこんなでヨーガとは何か?ということをこのブログを書くことにしたのです。

アーリアン学説

さて、このブログを読み進めてもらうにあたってアーリアン学説を事前に説明しておきたい。ヨーガを説明する際に、ヒンドゥー教ははずせないからインダス文明もはずせない。インダス文明といえば・・・で、アーリア人も外せない。私たち(私はアラフォー)の世代では、インダス文明はアーリア人の侵略によって滅びたという説を社会で学んだからだ。しかし、その説はすでに否定されている。だのに、いまだにアーリア人侵略説を用いたヨーガ歴史が氾濫している。
何せ私もこのブログを最初はその程で作成していた。ブログを作成している途中経過で、尊敬する伊藤武先生にブログを見ていただいたところ、アーリア人がいないという事実をご指摘いただいたのである。いや、そういえば伊藤先生の講座で何度か聞いていた。こんな大事なことをすっかりと忘れていた私の頭はポンコツとしかいいようがない。どうしようか・・・と考えたのだが、現在のところの情報で、アーリア人はいないが、インダス文明に2つの異なる言語を用いる種族がいたことは変わらぬ事実らしい(今のところ)。

そこで、私のブログではアーリア人をインド・ヨーロッパ語族(仮)、ドラヴィラ人をドラヴィダ語族(仮)とすることにした。
アーリアン人に関する諸説は伊藤先生のブログと、その他の論文を参考までにここにあげることにする。

http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-68.html
http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-69.html

バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

ベンガルのバウルの文化人類学的研究 (2)

村瀬 智 先生 
http://id.nii.ac.jp/1160/00000125/

第三帝国のユダヤ人政策 rアーリア化』をめぐって

東亜大学 総合人間・文化学部『総合人間科学』第2巻第1号,2002年,p. 87  山本達夫

結論をいう

ヨーガとは何かの結論をいう。それはヒンドゥー教でうまれた修行法である。ヒンドゥー教は、インドの主流の宗教であり、このヒンドゥー教の中でヨーガは発展した。ヒンドゥー教には輪廻転生から脱出することをさすモークシャという思想がある。モークシャは、絶対的な境地である神の域なので、モークシャを目指すことは、”神への道”を歩むともいえるのです。そしてこのモークシャに至ることと、そこに至る道を歩むことをヨーガといい、そのための行を熱心に行う人のことをヨーガ行者などというのである。

ヨーガ背景の探り方

ここから、この結論の経緯を、インドにおけるヨーガの位置付けをあらわにすることから説明する。そのためにインド文化を背景に、「ヨーガとは〜言葉の歴史編〜」、「ヨーガとは〜歴史背景編〜」の2つにわけてみていくことにする。

ヒンドゥー教の複雑さがわかる言葉

ヨーガの説明をすることは、つまりヒンドゥー教の説明することになる。このヒンドゥー教が、どれほど複雑かがうかがえる引用を抜粋した。

1: ヒンドゥー教は、「インドに生まれたすべての宗教や文化を吸収、同化しつつしだいに発展」

中川正生訳、クシティ・モーハン・セーンのヒンドゥー教より

2:「シク教、ジャイナ教、仏教はヒンドゥー教の宗派であるとみなしている。」

インド憲法第 25 条

3:(ヒンドゥー教の神への道について)
「おお主よ、「ヴェーダ」、サンーンキヤ学派、ヨーガ学派、パシュパティ・シヴァ派、ヴィシュヌ派・・・これらすべての道は、ほかならぬあなたへ通じる。あたかも曲がりくねった川が、最後には大海へ流れ込むがごとく。」

マヒムナー讃歌  中川正生訳、クシティ・モーハン・セーンのヒンドゥー教より

言い分はわかるんだが、欲張りというかなんというか・・・少々ジャイアン感がいなめませぬ。
まあ、このように色々ミックスされているわけだから、ヒンドウー教をきれいにカテゴライズしようとするとたちまちブラックホールに吸い込まれる。ヒュールルルル。だから、ある程度のアウトラインが見えたらそれでよしとすることにした。

全体の目次

「ヨーガとは何か」を歴史的に考察する 〜1:はじまりと結論〜(本ブログ)
「ヨーガとは何か」を歴史的に考察する 〜2:言葉の歴史編〜
「ヨーガとは何か」を歴史的に考察する 〜3:全体の歴史編〜


この内容は200時間のアライアンスのトレーニングでも公開している。その時は、どのような分野のヨーガが発展してきたのかということも同時に観察していくことにしている。完璧とはいかないが、おおよそインド本家が作ってきたヨーガを少しでも知ろうとすることとそれを伝えることが、私にとって敬意表明の一つなのです。私はヒンドゥー教徒ではないし、そうなりたいとも思っていないけれどやっぱりヨーガのもつ全体像が好きなのです。

 ॐ