「ヨーガとは何か」を歴史的に考察する 〜3:全体の歴史編〜

2019年9月13日ヨーガ考察, BLOG

ヨーガとは、ヒンドゥー教でうまれた修行法である。
現代のヨーガは、そのようなことはあてはまらないが、それでも普通の運動と異なる点といえば、ヨーガの原点が宗教概念の中にあるという点だろう。言葉や結論づけは異なれど、私は何者だ?という人間なら誰もが一度は考えるだろう宗教的問いかけに、長い年月を経て肉体操作も包括して発展させてきたのがインドのヒンドゥー教であり、その一部がヨーガである。全くもって棚ぼたのようなものである。ふが。

ヨーガとは~歴史背景編~

このブログでは、4つの時代にわけ、ヒンドゥー教を考察していくことにする。4つの時代とは、原始ヨーガ時代、古典ヨーガ時代、後期ヨーガ時代、現代ヨーガだ。なぜヒンドゥー教の考察なのか?それは、ヨーガがヒンドゥー教でうまれた修行法だからだ。

ここからは、私の知っているこれまでのインド情報のストックと、「中川正生訳、クシティ・モーハン・セーンのヒンドゥー教」「東京外国語大学高島 淳先生の学術論文」「伊藤武先生の語録集と本」「インド神話や叙事詩」を引用しながら書いていく。

原子ヨーガ時代 

この時代は、約5000年前から約2500年前の約2500年間をさす。数字にすると短く思う。ダーウィンの進化論でいえば、人が進化するにはまだまだ足りない期間ではある。が、ひいひい爺ちゃんの時代どころではないうんと昔の話で、しかも信じられないくらい長い期間だ。約2500年間だ。そしてこの期間は、実にヨーガの核となる部分だ。ここで注目したいのは、2つの語族が作っていった宗教観念とそれを支える生活様式である。(2つの語族の表現について、「ヨーガとは何か」を歴史的に考察する〜1:はじまりと結論〜にあげた内容を読んでからこちらのブログを読んでほしい。)

インドの歴史といえばインダス文明

インドの最古の文明といえばインダス文明だ。この文明が栄えたのは、インダス川流域。現在のパキスタンである。インダス文明は、都市が中心で下水道施設や道路も計画的にあったことから、高度な行政機構が存在していたことがわかっているそうだ。使用していた文字は、インダス文字である。このことからこの種族をドラヴィダ語族ということにする。(インダス文字とドラヴィダ語族の関係は割愛するがネット上にたくさん転がっているので気になる方はお調べあれ)

インダス文明跡に残された信仰跡

遺跡には、多くの(のちにいわれるところの)ヨーガ行者と思われる像が遺っており、また発掘された像のなかには、ヒンドゥー教のパシュパティ(獣の主)やシヴァ神像に似た形のものもあった。これらは全て後のヒンドゥー教のものなのだ。

インド・ヨーロッパ語族とドラヴィダ語族

インド・ヨーロッパ語族

インダス文明のエリアに後からやってきた種族がいるといわれている。その種族をここではインド・ヨーロッパ語族と呼ぶ。この語族は、自然崇拝であった。自然のそれぞれに神を宿し、その神をあがめるのだ。神への供物として獣を生贄にする供儀を行う。それは森の中を中心に行われるのだ。供儀は、語族であるバラモンが行なっていたのだ。(バラモンがいるのですから、この時代に階級制度が整っていたのがわかる。語族到来の前に階級制度はすでに存在していたということだ)

インドの偉大な聖典であるヴェーダのサンヒター(マントラがおさまっている本文)はこのような神のための祭式がつらつら書かれている。このことから、ヴェーダのマントラはインド・ヨーロッパ語族が作ったのだと推測されている。

インド・ヨーロッパ語族は、サンスクリット語の元になる言葉をつかっていた。(インダス文明ではインダス文字が見つかっているから、インド・ヨーロッパ語族がインダス文明の土着民族ではないことがわかる)それからインド・ヨーロッパ語族の書いた書物には、都市に関する知的な文書がない。つまり高度な行政機関を作る頭の良さはあまりなかったといえる。

この時代の宗教は、古代のヒンドゥー教、ヴェーダの宗教、バラモン教(後からつけられた造語)と様々な言われ方がある。(このブログでは区別のために古代ヒンドゥー教をつかう)現在のヒンドゥー教は、多様な信仰方法がある。その中でも神にたいしての儀式や自然崇拝、マントラなどはこのような時代背景からきているのだろう。

:ドラヴィダ語族

さて、インダス文明でみられた遺跡からは、ここにいた土着の人がインド・ヨーロッパ語族ではないことがわかる。このインド・ヨーロッパ語族ではない人々をドラヴィダ語族と言っている。

ドラヴィダ語族が形成したインダス文明について抜粋する。
抜粋文に書かれたアーリア人とは、このブログでいうインド・ヨーロッパ語族のことだ。

「インダス文明は、多くの美術品を残している。「インダス文字」と呼ばれている文字はいまだ解読されていないが、表意文字である。インダス文明には、高度に技術化された産業および強力な商人階級が存在していたと推測される。この文明の担い手は不明であるが、いくつかの人種が混じり合っていたことを示す証拠が見つかっている。いずれにしろインダス文明はアーリア人以前のインド文明である」

「公共の寺院はあまりみられないが、インダス文明は明らかに非世俗的であった、遺跡には多くのヨーガ行者と思われる像が遺っており、また発掘された像のなかには、ヒンドゥー教のパシュパティ(獣の主)・シヴァ神像に非常に似た形のものもある。樹木、動物、蛇などが崇拝の対象とされた形跡も顕著である。現在ヒンドゥー教に取り入れられている大地母神(デーヴィー)崇拝や精神力(シャクティ、性力)をもつ母神崇拝もこの文明から発したものであろう。このことを暗示するような、この種の女性の粘土像が無数に遺っている。おそらく、シヴァやシャクティ崇拝、および現在ヒンドゥー教の本質的要素となっているヨーガと瞑想も、この時期に起源をもつものと考えられる」

中川正生訳、クシティ・モーハン・セーン ヒンドゥー教 P58より

:インド・ヨーロッパ語族とドラヴィダ語族の生活、習慣、階級比べっこ

インド・ヨーロッパ語族とドラヴィダ語族の生活や習慣、階級の違いがあった。それについて2点抜粋する。ここでもアーリア人とは、インド・ヨーロッパ語族、非アーリア人をドラヴィダ語族であることを前提に読んでほしい。

「まず、アーリア人の教育の場は、供儀の祭場であった。祭壇のまわりでは歴史、説話、民謡、演劇などが語られ、上演され、抒情詩や、たとえば天女ウルヴァシーとプルーラヴァス王の恋愛物語なども歌われたであろう。より知的な娯楽としては、ヴェーダ文献のなかに答えがかくされているナゾ解き遊びなどがあった。アーリア人の森の道場は、この祭場の集まりから発展したものである。一方、非アーリア人の教育、集会の場は聖地、特に沐浴場であったとみられる。このような聖地では、ナータ、ヨーガ、ジャイナ教などの非ヴェーダ宗教や哲学が盛んに行われた。アラーハーバード近郊で、今日でも行われているヒンドゥー教のクンバ市(クンブ・メーラー)などは、この伝統の名残りである。またしばしば占星術に従って、ある聖地では大集会(マハー・ヨーガ)が行われ、さらにそのような場所は宗教会議にも使用された。」

「すべてのアーリア人が供儀の祭祀への参加を許されていたのに比べ、先住民はほとんど祭祀から締め出されていた」

中川正生訳、クシティ・モーハン・セーン ヒンドゥー教 P70

ヴェーダ

:ヴェーダの種類

ヒンドゥー教と古代ヒンドゥー教の聖典の一つにヴェーダというものがある。ヴェーダは、4種類あり、それぞれ4部構成だ。4種類は、古いものから順にリグ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダという。4部構成は、サンヒター、ブラーフマナ、アーラニヤカ、ウパニシャッドで、4種類それぞれ同様の構成となる。このうち、4種類の名称は、サンヒターの名称と同一である。紀元前1000年から紀元前500年に成立したとされる。

ヴェーダという言葉は、4種類のヴェーダを指すときもあれば、リグ・ヴェーダをさすときもあり、4種類のヴェーダのサンヒターをだけをさすときもある。ヴェーダの区分けについては、wikiに一覧表がでていたので、それをご覧になるといいはずだ。サンヒターは、4種類のヴェーダの中核にあたるところだ。サンヒターを書いたのは、インド・ヨーロッパ語族であろうと言われている。その理由はサンヒターには主にインド・ヨーロッパ語族が提唱していた神について書かれているからだ。それは、神が絶対的存在であり、人は神のためにいのり、供物を捧げるという観念だ。そして、主に自然の神々への祈り、祭祀の方法などが書かれている。祭祀の方法などは、最終的には複雑になりすぎ、一部のブラフマンしかその詳細を知らないという事態が起きたそうだ。

:ウパニシャッド

ウパニシャッドには、知識と瞑想のことが主に書かれている。(特に後世では、ヴェーダの宗教の形式主義を反発するものだったらしい。)ヒンドゥー教の真髄となるような、不二一元論(アートマンとブラフマン:梵我一如)の観念、輪廻やモークシャもここに登場する。ウパニシャッドに書かれてある内容は、インダス文明にあった知的な痕跡やヨーガ行者らしい遺跡をのこしていたことに紐づいている。つまりウパニシャッドは、インド・ヨーロッパ語族ではない土着の人々(非インド・ヨーロッパ語族=ドラヴィダ語族)が中心に作ったといえるのだ。

:ヒンドゥー教の思想や哲学の融合はウパニシャッドで行われる

ここまでをみてわかるように、インド・ヨーロッパ語族とドラヴィダ語族は全く違う性格なのだ。だけど、共にインドで生をなす中で、パワーバランスを考えながら互いに融合せざるをえななかっただろう。そしてそれはウパニシャッドの中に形としてあらわれることになる。インド・ヨーロッパ語族ははウパニシャッドを受け入れるより他なかったのだから。

ここまでが、古代ヒンドゥー教の時代だ。インド・ヨーロッパ語族とドラヴィダ語族はそれぞれに核とすることが違っていたが、やがてそれらは一つになっていくのだ。一つになってでできたのがヒンドゥー教だ。このような多様な要素で出来たヒンドゥー教が、つまりヨーガの要素になるのだ。

キーワード

インド・ヨーロッパ語族
:新しい人々、神様大事、自然崇拝、供儀、森の中、バラモン、ヴェーダ、サンヒター、力が強い
ドラヴィダ語族
:インダス文明の土着、神像崇拝、輪廻転生、解脱、瞑想、沐浴場、ウパニシャッド、知的

古典ヨーガ時代

古典ヨーガ時代は、ウパニシャッドの教えをもとに、各宗教宗派哲学派からモークシャの方法がうみだされヨーガが盛んになり始める。そしてヒンドゥー教成立の時代だ。

古代ヒンドゥー教から枝分かれした修行をもつ道「仏教・ジャイナ教」

A.C 4になると神の祭祀や梵我一如の形を否定した宗教が起こる。それが仏教やジャイナ教である。特に仏教はインドの国教になったこともあるほど人気がでたこともある。その考えには転生輪廻とモークシャの思想があるので、ウパニシャッド的と思うのだが、神の信仰方向が異なるため、非ウパニシャッドであるといわれている。ジャイナ教も、同様に非ウパニシャッドといわれている。しかし、現在インドでは、仏教もヒンドゥー教の1つとカウントされ、仏教徒の修行もまたヨーガと呼ばれることもるのだ。

ヒンドゥー教の成立

仏教やジャイナ教の到来で、古代ヒンドゥー教は衰退した。全貌はわからないが、この事態に古代ヒンドゥー教は、宗教争いや時代の変化の中で民衆にあう形を作り直したと考えられる。そして、ヒンドゥー教ができたのだ。(これまで古代ヒンドゥー教とよんでいたものは、実際には宗教名はきちんと決まっておらず、一般的にはバラモン教とも言われる。)
聖典であるヴェーダに書かれてきたことも、これまで重んじられていたことが軽くなったり、軽んじられていたことが重んじられたり・・・、より多数派の意見にあうように変わったのである。

ヒンドゥー教の3つの道

ヒンドゥー教は、モークシャにいたる道を3つもっている。それは、バクティ、ジュニャーニャ、カルマだ。バクティは神への献身、ジュニャーナは知、カルマは行為によってそれぞれモークシャにいたるのである。

ヒンドゥー教の神様と神様信仰の道

古代ヒンドゥー教の中心には、ウパニシャッドで設定されたブラフマンが存在する。このブラフマンは宇宙の根本原理として存在している。ヒンドゥー教成立以降には、「三神一体論(トリムルティ)」とよばれる教義が唱えらる。この教義では、本来は一体である最高神が、三つの役割「創造、維持、破壊」に応じて、三大神「ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ」として現れるのだ。本来は一体であった最高神というのは、諸説あり、ブラフマンであるという意見や、太陽神のアグニであるという意見が注目されている。

ブラフマーの人気はあまりのびず、ヴィシュヌやシヴァが大人気になり、ヴィシュヌ派やシヴァ派が広がっていく。それぞれの派は、またそれぞれの教義を作り、新しいヨーガの道を作っていくことになるのだ。特にシヴァ派は後のハタヨーガにつながっていくのである。

ヒンドゥー教の他の修行の道、六派哲学編

紀元後に誕生した六派哲学は、ヒンドゥー教や古代ヒンドゥー教の思想から生まれた。その起源はB.C8まで遡ることができる。文字どおり6つの哲学派だ。一元論、二元論、汎神論、不可知論など異なる哲学をもつ。また世界と神の関係性もそれぞれの学派によって異なる論を唱えている。そして、それぞれにモークシャの方法を提唱しヨーガをするのだ。

各学派の行法については、それぞれの教本にしるされている。それらは、ヒンドゥー教の教えや3つの道を守りつつ新しく作ったスタイルといえる。六派哲学のそれぞれの核には、ヴェーダをくむヒンドゥー教や古代ヒンドゥー教の要素が自然とそなわっているのだ。だから、ヨーガの行法に祭祀めいたことや神への祈りが入るのもごくごく自然なことである。

六派哲学の詳細はまたの機会にして、ここでは六派哲学の名前紹介にとどめる。
ヴァイシェーシカ学派・ニヤーヤ学派・サーンキヤ学派・ヨーガ学派・ミーマンサー学派・ヴェーダーンタ学派
さて、この時代にはヨーガという言葉がもうすっかり定着する。しかし前述したとおり、その起源はインダス文明にみられるのを思い出してほしい。

3:後期ヨーガ時代

後期ヨーガ時代は、六派哲学の哲学思想をくみながら、さらにヨーガ(モークシャの方法)が進化していく。古典ヨーガ時代のヨーガを、そうではない、これでもないなんていいながら、新しいスタイルを確立させていったのだろうか。宗教、宗派、哲学派と、それぞれが様々な思想でモークシャの探求が盛んに行われていたのだ。そしてこの時代はまた、タントリックなヨーガが花咲いた時代だ。ヒンドゥー教全体では、モークシャ(=神への道)のための3つの方法がしっかりと形をなすのだ。

ヒンドゥー教の他の修行の道、シヴァ派からのタントラ編

シヴァ派は、霊的な身体操作(タントリックな行法)によるモークシャの方法である。霊的な身体操作は、観想を伴い、身体を小宇宙にみたてて大宇宙を顕現させるという、壮大なスケールで行われる。操作の際は、チャクラ、バンダ、ナーディー、クンダリーニなどの観想を伴う。

タントリックな行法は、こんにちでは性的なものだけを指す場合があるが、先に書いたとおり大宇宙を身体に顕現させる手法の一つで、とても神秘的な思想なのだ(多分・・伊藤武先生の講座ではもう神秘的にしか思えないのだが・・・。)

この肉体的な操作の大きな発信元は、ハタ派だ。そして、シヴァ派、シュリクラ派、バウル派が形を変えながら発展させていくのである。(細かな内容はまた別のコラムでとりあげることにする。)
その発展の中で、タントリックな行法に音を使った方法やヤントラやマントラも加わっていくのです。これらをハタヨーガといい、今日でいうハタヨーガとは異なるものである。

現代ヨーガにむかってヒンドゥー教の修行の道が外国へ

ヨーガを含むヒンドゥー教は、ヴィヴェーカナンダ氏によって西洋に持ち出された。1892年万国宗教会議第一回集会で発表したウパニシャッドの不二一元論(梵我一如の考え)が、普遍的な性質をもっていると評価されたのがきっかけだ。とはいえ、ヒンドゥー教の全てが受け入れられることは難しかったため、アメリカナイズする必要がでてきたのだ。ヨーガについても同様だ。

ヒンドゥー教の3つの道であるカルマ、バクティー、ジュニャーナはそれぞれカルマヨーガ、バクティーヨーガ、ジュニャーナヨーガとして紹介された。更にここにラージャヨーガが加わる。このラージャヨーガは、後期ヨーガ時代のハタヨーガに含まれるラージャヨーガとは異なる。しかしハタヨガの側面である神秘的な肉体操作の内容を残しながらもヨーガ学派の教本であるヨーガスートラの哲学をミックスしたのだ。神秘的なことと実践的なことが一つになったこのラージャヨーガは西洋人に大受けしたのである。特にヒンドゥー宗教では、心や神秘的な内容のそれぞれに言葉の概念をもたせている。この言葉の概念は、新しいけど腑に落ちる言葉として西洋人に受け入れらたというのだ。

現代ヨーガ

出家者の修行の道から社会に密着した一般者の修行の道へ

ヴィヴェーカナンダ氏によって、モークシャに至る方法(ヨーガ)は、社会活動に関連することと密接になった。それで、出家者ではない一般人によるヨーガがさかんに行われることになったのだ。さらに国をまたぐヨーガ貿易がさかんになった。その結果が現代のヨーガ感につながっているといえる。現代は、肉体的なアーサナをさすヨーガがあれば、それぞれの国の文化や個人の思想がmixされたヨーガ流派があり・・・と、ヒンドゥー教の枠から飛び出した新世代型のヨーガが発展している。

修行の道は、ライフスタイルの道へ

現代では、後期ヨーガ時代までに書いたヨーガや、fromインドのアイアンガーヨガ、アシュタンガヨガ、シヴァナンダヨガ、他国外からきたイシュタヨガ、アヌサラヨガ、ビクラムヨガ、日本でも多種にアレンジされているマタニティーヨガ、シニアヨガなど、ここに全ては書ききれないほどのヨーガができている。

それはヒンドゥー教の枠をこえ、修行の道の枠をこえ新しい道として発展してきたものだ。美容の道、運動の道、自己啓発の道など、する人のライフスタイルにフィットする道だ。これは、ヴィヴェーカナンダ氏が繋げた社会活動の道がもっともっと一般的な道へと進化した結果なのかもしれない。

しかし一方でヒンドゥー教は存在しており、伝統的な修行の道も存在している。日本で新しくたちあがったヨーガの宗派もあるように宗教的な要素をもつヨーガも残っている。

ここからのヨーガ

私の先生の一人にシャーマンがいる。20代前半に出会い弟子入りを認められた時は、動物を生贄にした弟子入り儀式みたいなものもした。先生は、人のチャクラを操作する。そして自分の中のチャクラ操作もする。チャクラ操作の伝授は極秘だ。だから教えてもらう時は、カーテンをしめきった誰もいない部屋に行って少しずつ教えてもらっていた。ちなみにこのチャクラ体操を1日さぼると次の日に5倍するとか色々面白いことがある。雨呼びの儀式も見たし、精霊をつかったマジックなども教えてもらった。色々他にも書きたいことがあるのだが・・・つまりがちんこのヨーギーだったわけだ。

しかし先生は、ヨーガが嫌いと豪語していた。私にも早く「やめろやめろ」「まだやっているのか?!」としつこつ言っていた。先生のヨーガの認識は、現代の運動タイプのヨーガだっただ。そして自分のしていることはヨーガではないということだ。「いや、あんたがしているのが伝統的なヨーガって知っているのか?」と突っ込んでやりたかったのですが、もちろんしていない。

話は変わり、インド出身の流派であるアイアンガーヨガやアシュタンガヨガは、インド政府によってヨーガではないと指摘されたそうだ。

突然な話をいくつかしたのだが、何がいいたいかというと、ヨーガの全体がなんとなくわかっても、やっぱり最後には、それでヨーガって何やねん。に戻ってくるというおちがくる。それで、もう自分なりに定義したヨーガを貫けば、それが本物になっていくのである。

ヨーガはヒンドゥー教の修行の道だ。しかしヒンドゥー教徒にならなくても良いのだ。インド哲学に詳しくなくてもいいのだ。時代は随分とすすんだ。ヨーガは新しいフィールドにはいっている。
100人いれば100人のヨガ。みんな違ってみんないい。やっぱりこれに落ち着くのだ。

全体の目次

「ヨーガとは何か」を歴史的に考察する 〜1:はじまりと結論〜(本ブログ)
「ヨーガとは何か」を歴史的に考察する 〜2:言葉の歴史編〜
「ヨーガとは何か」を歴史的に考察する 〜3:全体の歴史編〜

この内容は200時間のアライアンスのトレーニングでも公開している。その時は、どのような分野のヨーガが発展してきたのかということも同時に観察していくことにしている。完璧とはいかないが、おおよそインド本家が作ってきたヨーガを少しでも知ろうとすることとそれを伝えることが、私にとって敬意表明の一つなのです。私はヒンドゥー教徒ではないし、そうなりたいとも思っていないけれどやっぱりヨーガのもつ全体像が好きなのです。

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