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子どもに大人の会話は聞かせない

ママ友と子づれでカフェとかに遊びに出かけ、子どもが自由奔放に遊びまわって困った経験はないだろうか。私はある。あっちに行ったりこっちに行ったり動き回る娘。対して大人しくお母さんの横にいる友だちの子ども。肩身は狭くなりはじめる。無理に戻そうものなら余計に激しい抵抗が始まる。そして娘にはしかりつけ、なぜか周りに謝っているということがよくありました。

シュタイナー学校に行き始めてから自然とこれがなくなりました。今のシュタイナー学校では、子どもが低学年の頃は、大人の会話を聞かせないという方針があります。大人の会話を聞くと、頭ばかりが働いて栄養が豊かな心や身体がへ届かないからというのが理由。(実践してみるとこの意味がよく理解できるし、ヨガチャクラでもこのような考え方がある)
それでシュタイナーのお母さんたちと集まる時は、子どもは知人や家族に預けていく。一緒に遊びに行く時はいつでも子どもぺースにするというのが自然と発生しているルールです。子どもたちがあちこちに動き回ると大人たちは自然と分散し自分の子どもについていく。子どもたちが大人のところにきたら自然と話をとめるという具合です。大人のペースに子どもをあわせるのでなくて、子どものペースに大人があわせているんです。

このスタイルは私にはとってもあっていました。なんせ、たえぽん(娘)は、ひとところにいれない!(それにもシュタイナー理論に基づいた理由があって今とあるレッスンに参加しているのですが、その話はまた違うタイミングで。)いつも肩身の狭い思いだったのだけど、そもそも子どもはそういうものなんだ。という思考の転換がありました。それでとっても楽になれたのです。何より周りのママが同じような子どもの接し方をしているというのは、本当にありがたい。皆が率先して子どもを中心にすえて行動しているんです。これが大人にとってもとても心地いいんです。
子どもにあわせていくと自然と行く場所も限られてきちゃうんだけど、それでいいのだ。ほんのしばらくの間のことなんだ。それに、この時期が子どもの未来にとって、とても大切な時期だものね。

こんなこと言いながら、思いながら、子どもの言動にイライラしたり怒る時もあるし、大人の場所へ連れて行き刺激的な会話を耳にさせちゃう時もあります。が、完璧になんでもこなせないズボラ主義なので、大方できていたらそれでいいわ、という考えです。親も人間。時にはそれでオーライなのだ。だけど、まだ小さな子どもが、子どもらしく遊べる環境作りとして子どものペースに大人があわせてやったり準備してやる。そして大人の会話や大人の遊びに子どもをいれないのがいいというのは、シュタイナー教育を初めてから実感しています。

ところで最近、本屋に行ってきました。そこでグリとグラでおなじみの中川李枝子さんの『子どもはみんな問題児』という本を見つけました。本の中を少し読んですぐに購入することにしました。この問題児はたえぽんのことか・・・と思うようなやんちゃな子どもたち。そのどれもがそのままでいいんだということが、とっても優しい言葉で書かれていました。
子育てで、心がへし折れそうになる時期が定期的にきます。ちょうどそのタイミングに見つけたこの本。”ああ、また頑張れるなあ”って本当に感謝の気持ちになりました。
そして、そこからも子供はじっとしていられなくて当たり前なんだ。ということを改めて学んだのです。

大人同士の会話を子どもの前でやめてみると、子どもペースの遊びを見守る側になった。友達としゃべれることが少なくなるけど、それも今だけのことだしまあいっかという気持ちになった。
もっと早い時期からやれてたら良かったのに、とも思うんだけどタイムリープできないし、今できることでまあいっかということにしておくんだ。