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喜びの種類/心を育てるシュタイナー的子育て

娘が1歳の時にシングルマザーになって早11年。

12歳になった娘は、早めの反抗期をゆるやかに終えて、穏やかな時期に突入しています。

小豆島にて、後光さしてます

最近のことと、このブログの前置き

ここ数年、娘について書くことがなかったんだけど(単純に忙しすぎて)、相変わらず我が家ならではの子育てをしています。

来年は、1年という短い間だけどバリ島への移住が決まり、急いで娘の学校の準備をしていたり、学校で経済的なお金の学習が始まったので、マーケやらの話をしてみたりで、娘は新しい情報や行動に刺激を受けて興奮気味です。

バリにて。ホテルの皆から服をもらった-

新しいことの中には、電子機器をつかったオンライン英語学習があるんです。
先生は、マレーシアに住む方。授業ではグーグルドライブやらグーグル翻訳やらを使うときた。その方が早くて簡単!てことなんだよね。

ただ、我が家の方針は、

「早くて簡単」より

「手間暇かけて、ゴールまでの道を自分で作る」心を育ててる時だから、

「う〜〜ん」なわけです。

それにまだ電子機器に積極的に触らせたくないんだけど・・・

とはいえ、仕方のない状況でもあるので、娘には心の話をして、ちょっとした予防線をはることにした。

予防線の話は、喜びの種類を理解してもらうことだったの。

目的は、”電子機器を通して得られること”に対する「心の扱い方」を知って、上手にインターネットと付き合えるようにしたかったからなんだよね。

で、その時に話た喜びの種類について、今日はブログに書こうと思ってる。

瞑想にも役立つので良かったら読んでね。

多分、前置きの方が長い笑

2つの喜びの種類

喜びの種類は、2つあります。

1つは、幸せという喜び、

もう1つは、興奮という喜びです。

幸せの喜びは、心を満足させます。

興奮の喜びは、心に欲をうみます。

幸せに繋がる喜び

ここから、幸せを感じる喜びについて書きます。

四無量心

仏の教えに、四無量心があります。

これは、4つの際限なく広げていい心のことです。

4つの心とは「慈悲喜捨」です。

この3つ目にある「喜」は際限なく広げてよい喜びのことを指します。

この際限なく広げる心は、心の幸せを作り、世界に平和をもたらします。

幸せな喜びを感じる体

ちょっと想像してみてください。

まだ子どものころ、自分の親に抱っこされて安心していた時。

子犬を抱き上げた時。

飼っている猫ちゃんが顔をすりよせてきた時。

とても美しい自然の景色に出会った時。

あるいはこれら以外。

こうやって想像している時の体が、

心臓を中心に温かくなっていたり、

全身が柔らかくなっているような感じだったら、それは幸せを感じている証拠です。

わたしは、空の美しさを見ると、鼻のあたりがジーンとしてフゴフゴしてきて、泣きそうになったり、泣いたり・・・。それでありがとう。って言葉が自然にでてくる。

喜びから生じる幸せは平和を作る

このような種類の喜びを沢山経験すると、私たちの心の中に幸せがストックされていきます。このストックされた幸せは自分の心の内側にある資源になり、私たちの愛や優しさや勇気や強さを育てます。

そしてそれはまた、他人に対する優しさにつながっていきます。

こういう循環が、平和を作るんだよね。

苦しみに繋がる喜び

次に、苦しみを感じる喜びについて書きます。

欲は苦になる

また仏の教えの中には、欲は苦しみの元という考えがあります。

欲は、叶うと喜びになりますが、叶わないと苦しみになるからです。

私たちが苦しい原因は、「ああなりたい」「こうなって欲しい」「あれが欲しい」「もう一回味わいたい」などという欲です。

時々、「欲」を「願い」と勘違いすると、そこにはさらなる苦しみが伴います。

興奮を苦しみを感じる喜び

喜びの中にも、欲がでると苦しみに変わることがあります。

その欲は、興奮という名前です。

喜びを感じた記憶を辿ると、興奮を感じる喜びがあることに気づきます。

例えば、誕生日に沢山のプレゼントを貰った時。そこに欲しくてどうしようもなかったゲーム機械や、バッグや宝石があったら、心臓がドキドキして、「うれしいー!!!」ってなりますよね?

これは、興奮している体の反応です。

これが、興奮を感じる喜びです。

私たちは、一度経験した喜びをもう一度味わいたい、と思うことがほとんどです。

興奮を伴った喜びをもう一度望んだ時に、欲が始まるんです。

そして、その欲が叶うと、また喜びます。

こうやって始めて味わった興奮をもう一度味わいたいと思うんですが、

大抵の場合、心は無意識で最初の興奮より強い興奮を望んでいます。

なぜなら、想像の世界で、興奮した記憶が現実より大袈裟になるからです。

それで同じような興奮を味わうために、前より強い興奮が必要になります。

それに伴って欲もどんどん強くなります。

欲が叶っている間は、まだいいかもしれませんが、

多くの場合欲が叶わないことがほとんどです。

その時に、自分の欲に気づく人は、すぐに前向きになります。

自分の欲に気づかない、あるいは気づいてるけど欲を離せない人は、苦しみを味わいます。

この苦しみは欲に気づいて手離すことですぐに楽になります。

自分にあわせてアジャストする

ここまで書くと、欲を持ったらあかんのか?!となると思うんだけど、そうやない。

大事なのは、「今、自分は幸せなのか?」ということなのよ。

幸せではなくて、苦しみがあるとしたら、知らないうちに心を違う方向に動かしてるから、そうしたら起動修正が必要だよね?

そうやって、自分にあったちょうどいい塩梅を探して、自分の心に幸せをきちんと育ててあげることが大切だ。と私は思っているのです。

執着と離欲

物事の見方を変えると、喜びにも違いがでてきます。

例えば誕生日プレゼントをもらった時

私のことを考えてくれていた相手の気持ちを受け取って喜ぶ時があります。

欲しいものが手に入ったことに喜ぶ時があります。

こうやって、幸せの喜びの心を育んでいくと、たくさんの物質的な物の不要さに気づきます。

そうすると、物に対する執着が自然となくなります。

自分が苦しいと思ったら、こうやって今の自分には不要な物に気づき、そして離れていくことが大事なんだよね。

そしてそうやって冷静に自分を見つめられる力は、瞑想によって育まれていくんだよ。

家の経済状況にあわせて自制する

私は修行者でもなんでもないから、喜びに対することも、ほんといい塩梅になるようにしてます。

これまでの人生を振り返ってみて思うことは、経済レベルにあわせて、手離すことは違うということです。

お金がない時とある時では、手離すものが違いました。

興奮の対象になりやすい”物質”が”お金”と直結することが多いから

お金がない時はある時に比べると、物質的に多くのことは手放したけど、

興奮の喜びから心を離すことを知っているから、

悲しみや苦しみからは心は、解放されていました。

その解放レベルは、お金の有無に関わらないんだよね。

この原理がわかっていたら、自分の生活にあわせて、自分の心とうまくお付き合いすればいい、というのがわたしの考えです。

娘への心の教育

そういうわけで、今はこのような私の考えを、グイグイ娘にインストールしてるところです。

1回伝えただけでは、全くわからないだろうから、これから数年かけていくつもりです。

わたしのお茶の先生が、このように言ってました。

「子どもが聞いてなくても、マントラのように繰り返す。」

私もそれを教訓にして、マントラのように娘に伝えたいことを伝えています。

では、また次回は、学校のことか、最近ほっとな子どもの性教育のことか、、、書いていくね。

子育てに関して、こちらのラジオでよく話してるので良かったら聞いてね

今日の話を耳でも聞けます